言葉の着ぐるみ —ロック機構で出会った視点

ロックという言葉の信頼感


現場で脚立を使っている時、ロックが勝手に解除された。

「ロック」という名前がついているのに。
ロックとは使用者の意図をもって解除されるはず、
私の認識が間違えなのかな?

シートベルト・・・赤いボタンを押さないとはずれない。
携帯の画面ロック・・・パスを入力しないと解除しない。
家の施錠・・・合鍵でないと開かない。
ダイヤルロック・・・数字が合わせないと外れない。

間違いではなさそう。ロック解除には使用者の意志が必要。
その時、私が気づいたのは、

この脚立のロックと呼ばれているものは、ただのストッパだった。

「ロック」という言葉の着ぐるみを着ているだけで、
名ばかりのロック(fake lock)
期待される役割はそこに追いついていなかった。

ネガティブなズレが一番危険

 信頼感のある言葉は、人間の注意を奪う。

 「ロック確認したから、安全なはず」
 「これは仕様のはず。」

 言葉に注意を預けた、事故が起こる。
 恐ろしいことに、
 名前だけのロックは、ロックがないより危険になる。

 架空の信用を作り出し、
 安全装置があることで安心し
 注意が薄れる。
 
 安全扉、鍵、画面ロック、
 これらが実際はロックされてなかったとしたら?
 不安が増えてしまいますね。

着ぐるみをまとう物事たち 


 この世界には
 本来の姿を隠し、少し背伸びをするために
 「言葉の着ぐるみ」まとわされる物事が多い。

 今回のストッパーも「ロック」という着ぐるみを着せられていた。 

 固定したのに、勝手に外れる。
 安全なのに、 被害にあう。
 大盛なのに、上げ底している。
 大きいのに、中身は少ない。
 簡単なのに、操作がわからない。
 店員なのに、お客を粗末に扱う。
  
 身の回りには、着ぐるみがたくさんありそうです。

物事には、もともと悪意はない。


 名前と中身のネガティブギャップを感じたとき
 騙されたり、裏切られたような感覚になります。

 でも冷静に考えると、
 物事そのものは、悪意は持っていない。

 ただ、「ロック」という名前を与えられ、
 そこに安全装置という着ぐるみを被せられた存在にすぎない。

 構造も役割も未熟で成長過程なのに、
 立派な名前だけが先に与えられた。

 人間もそうかもしれない。
 ・役職
 ・期待
 ・キャリア
 ・会社の看板
 
 これらは「着ぐるみ」ともいえる。

 本体は悪いわけではない、
 ただ、纏った姿に近づこうと
 着ぐるみの中で頑張っているところなんだ。

 そう考えると視点が変わりませんか?

着ぐるみから解放してあげよう


 ネガティブギャップを受けたとき、
 大抵、反射的に批判の行動に移ってしまう。
 ここで観察する視点で見ることができれば、
 そんな余白が残されていれば、
 
 「ロックって名前だけど、まだ成立していないなぁ。」
 「なにが足りないのだろう?」
 
 きっと、着ぐるみのファスナーを見つけられる。
 名前と実態のズレを伝えられるようになる。

 すると、物事も人も、もっと楽になる。

 私たちの本当のたちの役割は
 着ぐるみを責めることではなく、

 観察する余白
 息切れを察する心を持つ

 そして 着ぐるみと行動のギャップを
 見つけて、伝えること。

 物事はただの物事としてそこにあり、
 人はただの人としてそこにいる。

 着ぐるみの外見を、
 そもそも知らされていないのかもしれない。
 着せられたキャラクターや役割を、
 自分でも理解できていないのかもしれない。

 だから、ズレが起きる。
 だから、苦しくなる。

 観察して、ファスナーの隙間へ
「きっとこんなイメージだよ」とそっと伝えてみる。
 そして一言添える。

「一服して、息継ぎしませんか?」
 ただそれだけで、救われる世界がきっとある。
 未来が、静かに浄化される方へ向き始める。

 着ぐるみのファスナー。。。
 30年前の思いでの曲を思い出した。

 今日も湯気でレンズが曇ります。

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