夏のお祭りの行列の文化

夏と言えば、お祭りというイメージがあります。
そこに行列がありますよね。
この行列は、お店の行列と違い、
秩序のない行列にわたしにはみえます。

お店の行列には、お店のルール
道沿いの行列には、交通ルール
どちらも外部ルールの枠内にあり
最低限の秩序が目に見える形で保たれています。

しかし、お祭りの行列は、
野外で広いスペース、
お店も多数あり、ルールも見えない。
列の形も様々、秩序はないに等しい。
さらに多くの人々。
それなのに、混乱は発生しない。

行列の歴史

この娯楽としての行列は約200年、
江戸時代からこの形が続いている。

何がその秩序を維持しているのだろう。
それは、
「察する心」と
「身近な声かけ」

町内の人々が一堂に会する「安全な混沌」の場であり。
ルールは文字ではなく「顔」と「声」で共有されていた。
余白と余韻に満ちた美しい文化。

きっと、この余白の土壌が
細工や工夫を生んでたのだと思う。

だが、この土壌は枯れ始めている。

お祭りでの出来事

先日、お祭りで行列に並んだ時
列の切れ目も形わからないくらい大盛況だった。
列たどり、最後尾と思われる部分にならんだ。
目的の列かも不明だったので、しばらくして
「これは、箸巻きの列ですか?」と声かけをした。
「はい、そうです。」と返答があり、安心した。
そのつかの間、後方から「実は、並んでます。」と聞こえた。
この時初めて、私は割り込みをしている事に気付いた。
すぐに、後方に周り最後尾を確認し列についた。
細く緩い繋がり、小さな安心を感じた。

では、どこが枯れ始めているのか?
声掛けをしないパターンを考えるとわかる。
同じ状況で、声掛けをしなかった場合。
周りからの声掛けはなく,
私は、割り込みしたままになっていただろう。

知らずとはいえ、列の後方からは、
無言の罵倒、
後日愚痴となり,
余白と余韻は黒く塗られたはず。

このことから身近な声掛けや周りを察する力が
弱くなっていると感じた。

声掛け一つで、状況は反転するのに
それができないのか。
それとも、あえてしない選択なのかもしれない

身近なコミュニティ

これを身近なコミュニティに重ねてみてください。
声掛けは、まだ聞こえますか?
近所の人の顔と声、記憶に残っていますか?

割り込みや侵入を正す力、
声掛け一つで取り戻せる気がします。

今日も湯気でレンズが曇ります。

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