守護霊の存在
都市伝説に触れる人物から、守護霊の存在と加護について語りを受けた。
守護霊という概念を受け入れ、
目に見えない不確かな存在がある前提で、
それを思考エンジニアリング的に解釈したエッセイです。
最近うまくいかない、帳尻が合わない人がいれば、
その支えの一部になればありがたい。
守護霊という言葉を聞くと、
信仰や宗教をすぐに思いつく。
深い信仰があれば、感覚にフィットしていただろう。
しかし、私には、信仰という習慣がほとんどない。
年に二回とタイミングが訪れたときに手を合わせるくらいだ。
話によると、守護霊はだれもについているという。
その存在があるのならば、
その力を借りて、理想に少しでも近づきたいと思う。
加護の力を借りるには
その力を借りる方法は、
自分を信じる事ではないかと解釈している。
自分を信じるとは、自分に素直になる。
素直になるとは、自分を大切にすること。
自分を大切にするとは、受け継いだ命を大切にすること。
つまり、先祖を大切にすること。
この気持ちを持ち行動すると、
自分を信じて行動することになる。
つまり、自分を信じて行動する先に、
守護霊の存在を信じられる「空白」が生まれる。
それが、加護に値する行動となる。
行動の先に加護が落ちる
行動を起こすということは、種をまく、複線を貼る事。
それは、守護霊が加護を落とす選択肢があるという状態。
その行動において、守護霊の加護が起きても、世界に歪みが生じない。
それは、加護を受けても受けなくても、その人の行動は変わらないから。
逆に行動をしない場合に加護を得てしまった場合はどうだろう。
加護を受けた者は、再現性の低い行動を妄信し、すべてを浪費する。
そして、世界に歪みが起こる。
それは、非常にもったいない。
加護は、こちらの準備を待ってから落ちるとは限らない。
自分を信じる
自分を信じ、自分を大切にする。
そして、未来に複線を貼る行動をする。
来たる加護に備えて、準備万端にしておく。
このような行動があると
守護されているかどうかに関係なく、
すでに折れずに進める位置に立っている。
守護霊の加護とは、
準備ができているところに
チャンスの訪れを表す、
ひとつの比喩なのか、本物なのか?
もしかしたら、加護と知恵は同じものかもしれない。
あなたにはどちらに見えますか?
今日も湯気でレンズが曇ります。
陽の思考は、steamy lens。 陰の思考は、smoky lens。


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