
羽音が耳に届いた。
その先には、コンビニの床で、羽を動かし続ける羽虫がいた。
節は硬直し、飛ぶ姿勢を作れない。
それでも、羽だけが動いていた。
飛べるはずの記憶を頼りに。
しかし、構造は限界を迎え、その行動には意味がない。
私たちが働いている組織も、この虫とよく似ていないだろうか。
ひとりひとりが「少しの頑張り」を重ねている。
今日も、明日も。
「これくらいなら」「自分だけなら」と思い、
羽のように動いている。
でも、それは構造として機能しているのだろうか?
節(組織構造)はすでに硬直していて、
飛ぶための姿勢を、もう取れなくなっていないだろうか?
それでも、皆が「動いているから大丈夫」と信じている。
でも、いつまで動けるかは誰にも分からない。
動いていても、構造が飛ぶことを許さなければ、何も変わらない。
この羽虫の羽音は、
「動いていれば何とかなる」という幻想への警告だったのかもしれない。
いつか、自分の羽も限界を迎えるその前に、
私は、羽の動きと構造の関係を問い直さなければならない。
この羽虫からのメッセージは、
思考と行動が揃って初めて意味が生まれることだと、私は咀嚼した。
今日も湯気でレンズが曇ります。

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